Fiction Holic

ゲーム、アニメ、漫画、小説、映画などなどのフィクションについて語ります。

ゲームへの没入感と演出と情報量についての話をしたかった

ごきげんよう。

PC版が実はスペック足りなくて遊べないから、と箱◯版ダークソウル2を購入したんです。で、ダークソウル2をプレイし始めて30分程度での感想を踏まえた、ゲーム画面内に表示すべき情報とゲームの雰囲気、世界観のすり合わせについての話をなんとなしに書きます。書けませんでした。

 

僕は前作ダークソウル、前々作(でいいんだよね?)のデモンズソウルをプレイしたことはないにしても、死にゲーとシビアなバランスのそれをプレイしてみたくてたまりませんでした。そして、Twitter上ではダークソウル2もまた死にゲーであり、フロムはプレイヤーに不親切であるというような、まぁネタなんだけど、そういうイメージがちょっと植え付けられてしまってました。

 

その結果、なにが起きたかというと、もしかしたらチュートリアルらしいチュートリアルってないんじゃないかなー実戦で学ぶしかないんじゃないかなーと錯覚してそこら辺にいる敵に喧嘩をふっかけてしまったのです。

 

まぁ、これに関しては僕の頭が悪いのと先入観ダメ絶対、という話で今回のことにはほとんど関係がないです。

 

本題。ダークソウル2をプレイしてみて思ったのはかなりゲーム画面に表示される情報(HUD)がすっきりしているということ。体力等のゲージと、現在装備している武器防具アイテム、それからソウルの表示だけですごいシンプルだと思いました。3DアクションRPG(?)としてドラゴンズドグマのHUDと比較しようとおもったら、マップ表示があるかどうかと文字があるかぐらいだったのでちょっとびっくり。

 

ただ、認識できる文字がどれくらい画面内にあるか、というのは認識を高めたり、逆に阻害する要因になりうるのかなーと思いました。例えば、画面内にステータス文字列とステータス値がびっしり表示されているのと、ステータスをアイコンに置き換えてステータス値のみ文字で表示ではおそらく認識のしやすさが全然違うんじゃないかなーと。

 

で、HUDの少なさということでもう一つあげるとエルシャダイ1周目。強制的にHUDがオフにされ、自分も敵も体力が見えない状態でした。が、これはエルシャダイ1周目はエルシャダイの世界観を大事にしてほしいからなんだろうなぁと思い、実際演出やカメラの仕事っぷりもあり一定の没入感を出すことには成功していたと思います。が、そのためにアクションゲームとしての楽しさへの気付きが犠牲になり、やり込む要素があったにもかかわらず、僕はろくにやりこみませんでした。これについてはプレイヤーの行ったアクションに対する評価(リアクション、SE等の演出)がちょっと不十分だった可能性もあるのでまた別の機会に。

 

えーっと、つまりなにが言いたいかというと、ゲーム画面に表示させるデータはコンパクトに、わかりやすくしよう。ということ。スマホアプリゲーでは逆に画面小さいのにさらに詰め込んでたりするので、なかなか難しい問題のようです。